成人式の粗相を斬る


今年もあちこちの成人式会場で、僕ちゃん、嬢ちゃんが元気良くはしゃいだようだ。

本人たちは、昔風に言えば、不良を気取っているのかもしれないが、

不良というよりも、不良品という表現が妥当だろう。

不良品によって迷惑をこうむった場合、一般的には製造物責任が問われるわけだが、

人間に関しても是非、製造者の責任を追及してもらいたいものだ。

そろそろ、子育て1級とかいったような資格制度の導入が必要な時期なのかもしれない。



さて。

俺が今日ここで取り上げたいのは、不良品の話ではなく、成人式そのものについてである。

いや、その前にまず成人の日。

成人の日はご承知の通り、国民の祝日である。

まず国民の祝日の定義だが、

「自由と平和を求めてやまない日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、

ここに
国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを『国民の祝日』と名づける。」

とある。


国民こぞって?


俺は自分の成人式にさえ、出たことないぞ。

ましてや、他人の成人式など、全く眼中にない。

昼頃起き出して、「今日は何の日かいね?」とぼんやり思い出すのが関の山だ。



さらに成人式とは、

大人になったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます

ことが目的とされている。



そもそも、俺のような人間がたくさんいるから成人式自体が形骸化したものになるのであろう。

将来ある若者の旅立ちを、国民全員が祝ってやらねばならない。

このあたりに既に大人の教育放棄がうかがえるような気がする。



新成人100人くらいに対して、親族は勿論、学校の先生、近所の小うるさいおっさんたち、さらには

地域主要団体のお偉いさん、暴力団に右翼に左翼。

こういう志の高い大人たち1,000名くらいで取り囲み、

おい、頑張れよ。

と祝福してやらねばならないのだろう。

ふざけてクラッカーなど鳴らそうものなら、

おい、ガキの遊びはほどほどにしときな。

と言って襟首つかみ、鼻っ柱に頭づきを食らわすくらいが丁度良い。

これが大人としての自覚を促し、本人のためになるというもんだ。



次に式の内容だが。

地域参加、国民参加の式ではなく、

役所のおっさんたちが、お役所仕事で退屈な話を長々とするから、

ただでさえ、こらえ性のない不良品たちが騒ぎ出す。

大体日本には式が多すぎんか?

入学式に卒業式、成人式に荻野式。

アメリカには成人式など、ないぞ。

あるのは本当にひとり立ちする高校の卒業式だけだ。



こういう形だけの式典はいっそのことやめてしまってはどうか?

困るのはどうせ呉服屋くらいのもんだろう。

そして意味のない成人の日もなくす。



どうしても、やりたければ、



一人一人、
個別にやって欲しい。










次、10時40分からの方、どうぞ。

入ったら正面に知事の写真がありますから、








それを見ながら、ラジカセの祝辞テープを聞いてください。

暴れても、クラッカーを鳴らしても大丈夫ですからね。

どうぞ、どうぞ、遠慮しなくていいですから。

さ、どうぞ、どうぞ。

さ、さ。

















一人じゃ、








何にもできん、ガキどもが。



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