カープ新球場 樽募金の粗相を斬る(2004.11.07)
俺が野球少年だった1968年。
カクテル光線に照らされた市民球場のマウンドには、
背番号16のユニフォームを身にまとい、
勝利を祝福するナインと爽やかな表情で握手を交わす、安仁屋宗八が立っていた。
この年の安仁屋は23勝、20完投で防御率は2.07。
汗にまみれたヒーローと、観客席に散らばった紙コップ、そして酔客たちの怒声。
これが俺にとっての、市民球場の原風景だ。
球場入り口の階段を駆け上がり、
グランド全体が視野に飛び込んでくる瞬間、少年の頃の高揚感が蘇ってくる。
「おっどりゃー、どこ投げよんな」そんな声が頭の中でこだまするのだ。
確かに狭くて、綺麗とは言えない球場。
芝は継ぎはきだらけ、スコアボードの放電管は耐用年数を過ぎ、
おまけに製造中止で取替えもままならず、まさに虫食いだらけ。
それでも多くの広島市民にとって、本当に愛着のある球場に違いない。
東京ドームを皮切りに、あちらこちらで新球場ができるたびに、
俺はこの原風景を言い訳にしてきた。
古くたって良いじゃないか・・・と。
しかし、限度を超えた老朽化、そして新球場建設ラッシュの流に翻弄されるかのように、
広島新球場の話が持ち上がったのが、確か平成8年頃。
市民球場を立て直すか、JRの貨物ヤードに新球場を建設するか。
事業案はどんどん具体化していったのだが・・・。
平成14年、事業化の大きな鍵を握っていたアメリカ最大の商業デベロッパー、
「サイモン・プロパティ・グループ」が突然の撤退表明。
そして平成15年、そのサイモン・プロパティと広島東洋カープなどで構成されていた、
チームエンティアムが広島市に対して正式に白旗を揚げてしまった。
以降、迷走状態が続くことになる。
動きの遅い行政に業を煮やした地元の経済団体、広島市商議所、中国経済連合会、
広島経済同友会、広島県経営者協会が立ち上がったのが今年の8月。
そして。
その経済団体の動きの遅さにさらに業を煮やしたのが、
新聞社など、地元のメディア関連企業8社だった。
彼らの打ち出した作戦とは・・・。

何と、樽募金。
昭和26年、資金難から解散を余儀なくされたカープを救ったのが樽募金。
金がなくて高卒選手、元プロ野球選手の喫茶店マスターなどをかき集めたり、
3等列車の床に寝ながら遠征した、チーム設立当初ならまだ樽募金も理解できる。
流動負債的な、ランニングコストに関わる部分ならまだ募金も多少は効果があるだろう。
しかし。
新球場の建設費、約400億円。
球場の前を通るたびに募金をするような殊勝な人間は少ないだろうから、
一人一回、1,000円としても。
1,000円×110万人=1億1千万円。
ま、募金を企画、主催する側もまさか本気で全額・・・とは思っていないはずだし、
市民の熱いハートで、経済団体や行政を動かしたいというのが狙いだろう。
しかし市民の方も、到底募金では足りないことはわかる話だし、
そんな焼け石に水のような金が活用できるのか、疑心暗鬼になっても不思議ではない。
で、もって・・・。
主任、募金の方が240万円で止まってしまいましたね。
どうします、これ?
ん〜、中途半端じゃのう。
とりあえず、

ヤード跡地の隅っこに、
樽募金実施記念
記念樹でも植えとくか・・・。
主任、林ができますが・・・。
次の粗相を斬る
粗相を斬るのTOPへ