日本高野連の粗相を斬る(2005.08.20)
日本プロ野球の歴史を紐解くと、今では考えられないような記録に驚かされることが多い。
特に、投手の記録に多いのだが、年間最多勝記録を見ると、
一体彼らは同じプロ野球選手なんだろうかと思えるような記録が並ぶ。
年間最多勝記録は、スタルヒンと稲尾が打ち立てた42勝だが、
過去において年間30勝以上を上げた投手は、延べ30人に上る。
年間30勝以上の記録で最も新しいのは、皆川睦雄(南海)が1968年にあげた31勝。
ここ最近では、投手分業制が確立されたせいか、あるいは日本人がひ弱になったせいか。
20勝すら夢物語に近いのだが、先発の登板間隔は中5日が基本で、抑えは1イニング限定。
貴重な戦力を大事に使えば球団側にとってもプラスになるし、
選手個人にとっても、選手生命が長くなるわけだから、喜ばしいことに違いない。
むしろ、年間42勝もあげられるような時代の方が異常だったのかもしれない。
ああ、それなのに、である。
夏の風物詩となった全国高校野球選手権。
あと数時間で決勝が始まるのだが、昨日俺が応援していた宇部商業が準決勝で散った。
体力的には決して恵まれていないものの、安定感抜群の好投手好永が8点も取られて負けた。
8月9日の1回戦は4失点、14日の2回戦は無失点、16日の3回戦は2失点。
18日の準々決勝は3失点。
そして連投となった昨日は8失点。
敗戦直後の好永投手は、あまりの疲労感からか、あるいは開放された安堵感からか。
泣く体力も残っていないように見えた。
2回戦以降の6日間で、彼はこの炎天下、一体何球放ったのだろうか。
何故、高野連はこんな時代錯誤といっても良いような暴挙を放置し続けるのであろうか。
過去においても、すばらしい素質を持ちながら、甲子園に破壊された選手は多い。
古くは、銚子商業の土屋投手。
甲子園には通算4回出場し、1974年に全国制覇。
ドラフト1位で中日に入団したのだが、その時点で既に肘はボロボロだったと聞く。
俺の記憶に鮮明に残っているのが、沖縄水産の大野倫投手。
1990年夏の甲子園には2年生ながら、外野手として出場し、準優勝。
翌1991年には、投手として出場し、同じく準優勝。
1991年、彼の肘は既に予選の時点で悲鳴を上げていた。
にも関わらず、決勝までの6試合、53イニングを一人で投げきった。
球数にして、773球。
決勝の相手は、大阪桐蔭高校だったのだが、決勝前日、当時の栽監督は、
「大野には悪いがこの試合で投手生命を終わらせる覚悟で投げてもらう。
甲子園で優勝するまで沖縄に終戦は来ない」
と、コメントしている。
監督の言葉どおり、彼の投手生命はこの試合で終わってしまった。
ひん曲がった肘は、伸びることはなかったらしい。
その後彼は九州共立大に進み、1995年外野手として巨人に入団。
俺は彼の悲惨な過去を覚えていたから、陰ながら応援していたのだが、
2001年にダイエーにトレードされ、2002年シーズン終了とともに解雇された。
通算成績、31打数5安打、1ホームラン、打率1割6分1厘。
今、彼がどこで何をしているのか、何を思うのか、知る由もない。
彼にとって、甲子園とは一体何だったのだろうか。
過密日程を組まざるを得ないのなら、
投球回数や、投球数を制限すれば良いだけの話である。
3日間で150球を超えてはならない、そんなルールを導入するのは簡単な話である。
そうすれば、栽監督のような大人の傍若無人な振る舞いに、若者が破壊されることもない。
喫煙がどうとか、いじめがどうとか、で騒いでいる場合ではないと思うのだが。
爽やかな一面しか伝えない、新聞社にも問題はあるのかもしれないが、
どうも、甲子園、高校野球というものには、大人のエゴが付きまとうような気がしてならない。
監督のご祝儀に始まり、野球用品メーカーの寄付やら、何やら。
そのうち、野球用品メーカーの圧力で、こんなルールが採用されるかもしれない。
ピッチャーの○○君に代わりまして、

マシン1号が入ります。
川本さん、どうやら直球のようですね。
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